学級閉鎖2012/01/24

何かと気ぜわしい一週間でしたが、木曜日に8歳児のクラスから9人のインフルエンザが出て、月曜日まで学級閉鎖に。

インフルエンザワクチンの効果については懐疑的です...

学級閉鎖ってどきどきしませんか。本人にとっても、親にとっても...
「学級閉鎖」「野球中止」という重い事態に、家から出られない8歳児も最初はおとなしくしていたのですが、いつまでもしていられるはずがありません。家の中が次第にフィールドに。


久しぶりの登校は、うっすら雪の道となりました。


雪明りがまぶしい家のカーテンに射的が...

また、事務所にも、謎の引き出しが。

詳細は後日。

実験嬢の引き出し2012/01/24

実験嬢(ガール)の引き出しに入っていたのは、

フルーツマラカス、進化形


たこやきブラザーズ てり&てる


スィートハートちゃん


かぼずじゃん


ちょっとちがうじゃん!


プルトップ胎内じゃん....


から付きピーナツKawamura君じゃん...

去年からアルバイトに来てます。

walk on the dots2012/01/24

自分の現実感覚が薄いということを、小学生の頃から気付いていました。しかし、そのことがなぜ自分でわかるのか、ずっとわかりませんでした。私は自分以外のひとではありえないのに、なぜ他人の尺度で自分の感度の鈍さを測ることができるんでしょう。

ともあれ、私の歩いているのは点の上です。点の上を歩いているので、点の連続が線になるということが実感できません。
ただし、実感できないから理解できないかというと、そうでもありません。
線は点の集合だと想像をすることができるにも関わらず、点の上を歩くという習慣を変えられないだけです。

もし私が線の上を歩いているのなら、線はその先まで延びているので、ある程度将来を見通すことができるでしょう。まっすぐでも、まがっていても。そして、先のことは今のこととつながっているいう理屈が理解できないわけではありません。

あいにくいつも点のつながりの連続で、ふりむくとかろうじて線になってみえます。目の前にあるのは線の行方ではなく、半透明の広い壁です。

という感覚が、たとえ現実からいくらか乖離していても、点であれ線であれ、いまここしかない一点にいるということに変わりはなく、良識との両立はできるはずと考えています。

でも、私が歩いているのは点の上なので、人生という線上を歩いている人のいう未来は、私にはどうしても実感できません。点の上の人生は、いつも戦場のような、いつ失われてもおかしくない、とても危うい感じです。次の点の上でどんな世界が目の前に広がっていたとしても不思議じゃない、というかなり広いレンジの偶然か必然かわからないけど通過した一点の連なりから今が成り立っているわけです。

点の集合は線なのだから....と想像してみます。一本のゆるぎない線を。
概念としての線。多くの人は、線の上を歩いているのかもしれない。その線のことを、人は「人の道」というのかもしれない。

点の上を歩いていることの欠点は、連続性が担保されていないことだと思います。
しかし、そういうタイプが役に立つこともあるので、いまいっとき存在しているのかもしれません。祈念と思考の狭間で。

そういう点の上を歩いているにも関わらず、ある瞬間その点から線が飛び出して二人の子どもたちのベクトルのゼロ地点となっていることの意味というか罠というか、そういう状況を帰りの地下鉄の中で考えていました。

私が引き続き点と線について考えているとき、その二人のうち一人はお風呂掃除を、もう一人は口笛を吹きながら皿洗いをして線をつないでくれています。この兄弟がママの点描線上の生活に入ってきてくれたことは、まったくともあれすごいことです。