A Happy New Year 2014!2014/01/01

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
15歳の時から、新年のBGMはユーミンの A Happy New Year です。
毎年、1月1日の最初に会いたい人がいるって、いいですね。
「今年もたくさんいいことが、あなたにあるように いつも いつも」

サイエンス サイエンス2014/01/29

このごろ、サイエンスライティングの講義をする機会が増えています。
日々直面している、そんなことが...ということが、問題です。
要するに、わかりやすく、万人受けを狙うほど、原著から遠く離れていくという...
だけど、話をシンプルにわかりやすくするのが悪いのかと言われると、そうでもないんじゃないかと思います。それは、科学的な詳細を犠牲にして、キャッチーなフレーズにより多くの視聴者の心をつかむという大義の下に行われているわけであって、そこに介入すべきだとも思いません。ただ、メディアがそういうポジショニング、伝達方針に自覚的であるべきだとは思います。

そういうわけで、備忘メモ。
サイエンスコミュニケーションの成り立ちは、フランクフルト学派の哲学者ハーバーマスが考えるマスメディアの下限を下回ることはありません。情報の受け手に、それなりの意見形成を行っていただくことを目標に行われる活動です。しかし、その下限はどこにあるのか?それは書き手の見識と良心に依存していて、必ずしも大衆誌だからくだらない記事になるとは限りません。

話せばわかるという、偉大なるカントが看破した感性の形式と因果律という限界を共有する人としての土台の上に成り立つコミュニケーションは、私も個人的に、主に家族、中でももともと他人である夫や、親馬鹿バイアスが前提の子どもとのやりとりの中で常々目指すところではありますが、一般的に日本ではあまりなじまないのではないかと思っています。というのは、すでに日本人の感受性が高度に発達していて、人と人がお互いの瞳をみながら話すときには、別に話さないでもわかる(言葉で話すと過剰になる)ことが多いと感じるからです。もともと目を逸らしつつ語られるような、伝える気力(サービス精神)のない言葉は、空回りするだけです。あなたの心を特定の誰かさんにちゃんと伝えるためには、どちらにしろ、ハーバーマスくらいコミュニケーションのステージを上げ、気合いを入れる必要があります。ただし、意図的に伝える力ばかりが強化されると、素直で思いやり深い人の多い日本人のうち比較的多くの人が踊らされることになりかねません。

そういうわけで、個人的なメッセージを誰かに伝えるときには、ひとりひとりが自分の発する言葉の力を最大限発揮すべきだとは思いますが、サイエンスコミュニケーションにおいては、その技術はむしろ邪道、禁じ手、営業のための誘導トークです。そのものをそのままに一生懸命に伝えること、しかしその背景には、形式的な自己決定権を重んじるあまり、心に隙間風が吹くような無関心ではなく、受け手の自発的な意見の形成を育むような配慮をすること(コミュニケーション行為に対する愛情みたいなラッピング)、が必要なんじゃないかな、と、今は考えています。

サイエンス サイエンス STAP!2014/01/30

夜に小難しいことを書いてしまった翌朝、つまり今朝のNHKニュースで、理研のSTAP細胞が報じられていました。理研にそういうすっごい隠し玉があるらしいという話は伝え聞いていましたが、ついにその全貌が明らかに。


http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7485/abs/nature12968_ja.html?lang=ja


痛快!


でした。


やっぱサイエンスはこうでなくっちゃ。

以上。