母の風景2024/04/05

「甘露の絵」
変わらなく繰り返し思い出すその風景の記憶が私の同一性を保証するのかな
かなわなかった思いの承認欲求だけが残るのかな

どちらにしても、遠い昔に夢をみていました
その夢がかなうことはなくても
子ども時代にそんな夢をみられただけで
報われる
今でさえ、夢と現実との間でバランスをうまくとらないと引き裂かれそうな

明日仕事がうまくいかなければどうしようというような
現実があって、でもそんな現実は実は本質的な問題ではなくて

誰でも
そんな
そして

こんな絵ありえないよね?
どんだけマザコン?
もう勘弁して
何十年も会えなくて
でも
そんなあなたもいとおしいから
そんなあなたをひたすら慕っていた記憶から自由にはなれないから
あなたの「甘いお水」の記憶を封印しても


立ち返る
お母さんの風景に
あの日美術館に行ったでしょう?その時に一緒にみたこの「甘露」の絵に立ち返るとき

立ち止まって、そんなことをお互いに感じていたよねって
君と
たぶん

サカナクション TURN 20242024/04/21

サカナクションのライブ 2024 

2024年4月20日土曜日の18時から、幕張メッセでツアーが始まりましたが、そのライブに参加しました 
17周年で二年ぶりのライブだったそうです 
ボーカルの山口一郎さんがうつ病で1年間活動休止、その後ソロでリハビリ1年間を経ての、フルバンドとしては文字通りのTURNのライブだった、とのこと 
いろんな人がメンタルブレークダウンで現在から将来へのつながりがつぶされていく中で、ただ祈って待っていれば、こんな早く、完全復帰できるってすごいことです  
信じて待つ力って大事ですね  
サカナクションって、さかなとアクションがくっついて生まれた言葉ですごく面白いと思いました 
さーちゃんが中学生の時に、お母さんこれ聞いてみてと教えてくれた、 「バッハの旋律を夜にいた聴いたせいです。」 で初めて知り、それ以来ずーっと聞いています。音もすごくおしゃれでいいんだけど、それよりも音に寄り添ってくる日本語のフレージングがいいです、聞くたびに心にさざ波をたててくる感じが好きです 
バイクでソロツーリングする際に、ライブ感があって、どことなく懐かしく、東名高速の帰りの渋滞中の定番です  
それというのも、私は平成元年に就職で自分だけを頼りに田舎から上京したバブル世代であり、1ドル86円とかで全員赤信号渡ってるくらい怖いものなど何もない20代で、メインストリームを筋力と本能だけでひたすら昇る反面、揺れたり震えたりする線を描いているつたない自分に自信がなくて、精神的な充足感に飢えていました

もう本当に、こんなに、何万人も収容するアリーナ全体にレーザ光が降り注いて、多様なみんながそれぞれに大好きな音楽に合わせて体を揺らす上品なクラブになってしまうなんて!
この成熟が若いころに叶っていたらと思うと、胸が切なくなってしまうわけです

こんな感じです 、10年前からコンセプトは変わってない 当日は正午に会場入りしてグッズ購入し、幕張で温泉がてらランチして、オールスタンディングのブロック指定席だったので1時間以上前には会場入りしてライブ開始を待つというスタイルでなんだかすごく久しぶりに「コンサート」を堪能したわけなんですが

1ブロックに5000人くらいが、チケット番号の順番に入場するのですが、入場後の割り込みを目撃したのは2人だけでした。聴衆は「ぶつからずに踊れるパーソナルスペース」をキープし、演奏者がぜんぜん見えない後ろのブロックでも、サラウンドシステムと特設スピーカーで広いアリーナ中に行き渡る音に身をゆだね、ライブを堪能していました

ステキなライブでした
歳はとっても感受性は鈍ってないことに
感謝です



あらたな 流線 、みつけたんだ

春の海2024/04/21

幕張のキュビズムみたいなベランダのあるマンション群を抜けて、バスで海岸へゆく
がたん、がたんと大きく揺れ、やがてきらきら光る春の海を見る
今日は曇り空なので、海の色も鈍くなまりがかっている
遠くにいくつもの黒い貨物船のシルエット
近くには大きな魚が跳ねる水しぶき
窓からのそんな景色をみながら、君とお昼ご飯を食べ

春の海
といえば 終日のたりのたりかな
という与謝野蕪村という俳人が読んだ句があったよな
君も国語で習ったかなあ?
終日を、ひねもすと読むの、いいね
この句を学校で習ったときから
その春の海のリズムが
私の人生の理想的なリズムになり
凪だったり嵐だったりの目まぐるしい錯覚の中で
今生は、のたりのたりでいこうかなと思っていたのに
すっかり忘れていたよ
曇り空の春の海はそれよりは少しゆううつでしょう
そんな日もある、と思えればよかったんだけど
のたり、のたりがまるで呪いのように思えることもあったなあ

今日は、少し2024/04/27

今日は、少し
明日も、少し

とあの人は言いました、「さよならするまで、少しずつ」

この甘い水をなるべく少しずつ飲んだなら、なくならないように
その間、永い間ふたりは一緒にいられるよ
いつかさよならすることを忘れてしまうくらい
なぜ一緒にいるのかさえ忘れてしまうくらい
できるだけ少しずつ
それなのに
なぜ、あの人は去ったのでしょう
ある春の嵐の日に
すべてを一瞬で燃やしつくして
満開の花を散らして
笑いながら


残された私は今日は少し
おかしくなってしまったみたい
明日も少し
さよならしてから、少しずつ


でも、私は最初から知っていたような気がします
どんなに少しずつ飲んでも
何百日かたてば
甘美な水はただの水になってしまうと
あの人は、おかしなことを言う人だと