四十にして惑う2012/10/24

四十になりたての頃はまだ甘かった。
ここまでくればもう惑わずって自信がありましたが...

いつの間にか、しっかり惑ってる...

孔子様とはレベルが違うので仕方ないですが、心の欲するところに従うのと、道をはずれないことの間のバランスがとれていません。

これまでは、心の欲するところに従うほうが容易く、道をはずれないようにすることのほうが難しいと考えていました。

ところが、四十を過ぎて、次第に心の欲するところに従うことの難しさが遅ればせながらわかるようになりました。道をはすれないようにすることのほうがむしろ簡単!


この逆転現象にはっきり気がついてびっくりしたので、忘れないように書いておきます。


欲するがまままっさかりの9歳児らのちびっこ野球チームが、区大会で優勝してしまい、祝勝会がありました。

ちょっと遅くなって、中国は吉林省出身の美人マザーの隣の席に入れてもらいました。一緒に飲んでいるうちに漢詩の話になりました。私の引用間違いを直してくれて、聞けば中国では子どもの頃に数百も暗記している(させられている)から覚えてしまったというのです。

たとえ中国出身の高学歴の方でも、必ずしもそうじゃないことを知っているだけに、しばし和みました。

暗記するだけの詰め込み教育ということになるのか、かけがえのない初等教育となるのかは、その人の心次第。

そして、大人になっても心の欲するところを見失わないための道しるべが、真善美のなかの美の役目なのかも。