ブラームスはお好き ― 2011/11/02
「ブラームスはお好き」
この洒落たタイトルのサガンの小説を朝吹登水子さんの翻訳で読んだ人は多いと思います....タイトルと訳者名はすぐに出てくるのにどんな内容だったかすっかり忘れています。
デビュー作が「悲しみよこんにちは」。対談集が「愛と同じくらい孤独」。タイトルのセンスがすばらしく、それだけで十分というくらいです。
サガンの小説は高校時代に何度も読んでいる(そしてかぶれている)はずなのに、そのフランスっぽい(と山口で想像した)雰囲気がかすかに記憶に残っているだけです。
逆に、ブラームスは大学以降よく聴くようになり、大人になっても時折「ブラームスウィーク」みたいになることがあります。特にポリーニがウィーンフィルと演奏したピアノ協奏曲第二番は、頭の中で自動再生できるくらいよく聴きました。若いころは、人生へのあこがれで胸が苦しくなる感じがしたものです。このごろは...まあいろいろですが、もっと余裕をもって楽しめるようになりました。
「ブラームスはお好き」というタイトルを笑えるくらいになりました。
ブラームスとクララ・シューマンとのエピソードは有名すぎるほどですが、ゴシップはともかく、二人の魂の交流が作曲家の人生を豊かにすると同時に、その仕事にとてつもない深みを宿らせたのではないかと想像してみるのも、楽しいことです。
作曲の技法に通じたNakatani君によれば、メロディといいハーモニーといいモチーフの展開といい転調といい素晴らしすぎ、なんだそうです。
「ブラームスの考えは、それは計り知れないものがありますが、あえて華やかな技巧を使わないで、表面的な美より内面から沸き上がるような音を進んで書いてるような気がします。そんな「音楽的禁欲」の世界を突き詰めた人なのかなあと思いますね。ジャズでもそうだけど、そういうサウンドの方が骨太になるし、本体が太いと陰の部分も太いというわけです(笑)」
おーなるほどーと流してしまうのはもったいないので、ここに残しときます。19XX年にドウモンの文英堂で新潮文庫の「ブラームスはお好き」を手に取った女の子が、2011年の秋の夜長に東京でこんなことを書いているのも、不思議なことですね。
では...第一楽章を。
この洒落たタイトルのサガンの小説を朝吹登水子さんの翻訳で読んだ人は多いと思います....タイトルと訳者名はすぐに出てくるのにどんな内容だったかすっかり忘れています。
デビュー作が「悲しみよこんにちは」。対談集が「愛と同じくらい孤独」。タイトルのセンスがすばらしく、それだけで十分というくらいです。
サガンの小説は高校時代に何度も読んでいる(そしてかぶれている)はずなのに、そのフランスっぽい(と山口で想像した)雰囲気がかすかに記憶に残っているだけです。
逆に、ブラームスは大学以降よく聴くようになり、大人になっても時折「ブラームスウィーク」みたいになることがあります。特にポリーニがウィーンフィルと演奏したピアノ協奏曲第二番は、頭の中で自動再生できるくらいよく聴きました。若いころは、人生へのあこがれで胸が苦しくなる感じがしたものです。このごろは...まあいろいろですが、もっと余裕をもって楽しめるようになりました。
「ブラームスはお好き」というタイトルを笑えるくらいになりました。
ブラームスとクララ・シューマンとのエピソードは有名すぎるほどですが、ゴシップはともかく、二人の魂の交流が作曲家の人生を豊かにすると同時に、その仕事にとてつもない深みを宿らせたのではないかと想像してみるのも、楽しいことです。
作曲の技法に通じたNakatani君によれば、メロディといいハーモニーといいモチーフの展開といい転調といい素晴らしすぎ、なんだそうです。
「ブラームスの考えは、それは計り知れないものがありますが、あえて華やかな技巧を使わないで、表面的な美より内面から沸き上がるような音を進んで書いてるような気がします。そんな「音楽的禁欲」の世界を突き詰めた人なのかなあと思いますね。ジャズでもそうだけど、そういうサウンドの方が骨太になるし、本体が太いと陰の部分も太いというわけです(笑)」
おーなるほどーと流してしまうのはもったいないので、ここに残しときます。19XX年にドウモンの文英堂で新潮文庫の「ブラームスはお好き」を手に取った女の子が、2011年の秋の夜長に東京でこんなことを書いているのも、不思議なことですね。
では...第一楽章を。
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